はてしなきひらひら

尾ひれが沢山付いてるけれども、言いたいことは、多分シンプル。

思い付きまでに

 ようやくまた、(多分これで最後の)好機が到来したと思われるので書く。

 

 到頭、今度こそ、映画『虐殺器官』が公開されるそうである。しかも、来月の3日、節分の日だそうで、随分急な話である。(自分が知ったのは、つい2、3日前である)

 

 お世話になった人との約束で、提出するはずだった伊藤計劃に関するレポートの締め切りは、暗にではあるが、『Project Itoh』三部作が公開される(はずだった)2015年の暮れまでだった。

 でも、「いつまで」という約束はしていなかったし、「どれだけ」「どんな風に」とも制約は一切設けられず、自由に書いていい――という事だったから、別に年明けでも、去年の内に書いてしまえば良かったのだが、去年はずっと心身共に優れず、書く事が出来なかった。

 

 『虐殺器官』の公開が延びに延びたのは、自分にとっては幸いであった。そうして、何とか公開にまで漕ぎつけられたらしいのは、実に目出度いと心底思う。

 2015年と2016年の丸2年間は、学業さえも丸で手が付けられなかった。ようやく人心地ついて来たのは、年度が改まり、居所を移してから更に一年近く待たねばならなかった。

 

 健康状態の回復するまで、半ば療養する気ではいたが、しかし公然と開き直るだけの自信もないままに漫然と過ごす間に間に――というと、何だか作品に対して失礼かもしれないが――、自分なりの語り口や、話の端緒を見付ける事が出来た。

 折から、ぼちぼち、筆を執る気力も回復してきた矢先、こうした嬉しいニュースが飛び込んで来たりすると何やら縁があるようにも思えてしまう。

 

 イタリアの小説家で哲学者のウンベルト・エーコが亡くなったのを知った時、自分は転居前で、別の先生からお借りした、ドイツのヤーコプ・グリムの思想史に関する本を読んでいた。

 去年の4月や5月頃は、その借りた本に触発されたりして、伊藤のレポートの代わりに、グリムやエーコのレポートを書こうかと考えていたが、結局、年が変わって、今はまた戻って伊藤の作品を読み直したりしている。

 

 エーコは自分の死後10年は自分に関する批評を止してくれるよう、遺書に認めたらしいが、其れと知らずに自分は故人の意思にそぐったらしい。

 兎角、今度こそは3度目の正直で完成させたいと思うばかりだ。

 

 出来たら公開日に間に合わせたいが、全部は書き切る事はスケジュール的には厳しそうで、けれども一先ずは、外観だけは書ききってしまいたいと思っている。

 当座、2月と3月とそれぞれ、手を加えながら書く予定である、