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はてしなきひらひら

尾ひれが沢山付いてるけれども、言いたいことは、多分シンプル。

茶屋の押入れ

夢を見た。長い夢だったので途中は割愛して、部分だけを切り取って話す。ただ、不都合な部分を削ったというのではない。

仲間内の飲み会に誘われて強かに酔った後、帰り道、滅多に会合にも顔を出さない無愛想な連中にダメがらみした自分は、彼ら内の一人に自分の背負っていた大量の荷物を押し付けて、祭りへ繰り出した。

丁度その晩、賑やかな祭りの最中で明け方まで芝居や見世物を観た後で、泥だらけになりながら家に帰った。直ぐに寝ようと思っていたが、着替えている最中に荷物を忘れて来た事に気が付いた。慌てて家を飛び出した。

 

折からの向かい風は強く、傘を差していると圧されてちっとも前に進まなかった。翌日は平日で、暖かい春の雨に打たれて愈々自分の気持は怪しくなっていた。ただでさえ祭りの余韻が殷々と身体中に響いている。

結局、二つの鞄は其奴の家の玄関先に放り投げられていた。

 

其奴の家の隣は大きな雑木林で、自分は真っ直ぐ自分の宅から歩いて来たに過ぎなかったから、寄り道したくなった。ただ、普段からよく歩いているものだから、何もないのは詰まらないと思った。

すると、何処からか三味線の音とか聞こえ始めた。気が付くと、自分は座敷の真ん中に泥んこの儘、突っ立っていた。

閉じた襖の向こう側では、若い芸妓さんが二人、何やら日本史の授業を受けている様子だった。成る程、確かに必要だろう。最もらしい演出である。

自分は汚れた上着とかを脱いで、鞄と纏めて目の前の押入れにしまい込んだ。上の段は来客用か布団が積んであって、幾分余裕もあったから、其処で休ませて貰う事にした。

どうで自分は今、正気ではないのだし、其れを分かっていたとしても、自分は酔漢であり、世間的には列記とした精神異常者の部類に入るのである。無罪放免とまではいかないまでも、世間並みのお咎めはないものと考えた。

それで布団と布団の間に挟まって暫し疲れた身体を休める積もりで、内側から襖を閉めた。どうせ気配で露顕るだろうと考えたけど、真っ当な言い訳もあるしのうのうと構えていた。

 

夢の中で寝ても夢を見ることがある。けれども、今度は昏々と眠る事が出来た。

起こされた時、手に縄を下げた親爺が出て来て自分は大人しくこれに従う積もりで両手をずいと突き出した。

所が、思いの外、穏便に対処されてしまい、拍子抜けだった。住所を聞かれるより先に電話番号を聞かれた。何故か、通学先の学校の教頭から真っ先にお叱りの電話がかかって来た。茶屋の電話の子機で聴きながら、自分は迫真の演技で脂汗を流してみたりした。日曜日だというのに如何してそんなに早く教頭に連絡が行ったものか、事情を察するに可笑しくて仕方がなかったのだが、次に何故か伯母からの伝言を店の人に伝えられた時には驚いて反応の仕様がなかった。

 

其の時の自分はすっかり騙されたつもりで彼等の芝居に付き合っていた。彼等は、自分が狐である事も無自覚な連中なのだ。然し、実に堂々たる態度ーー其れも其の筈、彼等は真剣なのだーー、一切の自己に対する疑念を余燼も抱かぬ清々しさは自分を恥ずかしい気分にさせた。

人間でも、此処まで堂々と人間らしく振舞う事は容易ではない。怒る所では怒り、叱るべき所で叱り、譲る所は譲って、堪える所は堪えている。

 

居た堪れず、自分は親爺に断って身繕いをし始めた。所に、蓬髪の妙な如何にも狐らしい、胡散臭い若人が見物しに座敷を覗きにやって来た。自分は其奴が、何と無く自分が荷物を背負わせた知人の様に思われたけど、能く能く見たら別人だった。

 「大海にあると言うのに小さな浜辺で遊ぶだけか......」

彼はそう言うとケタケタと笑い始めた。

自分は其れを聞いて彼と話してみたくなった。夢の中で、人物に話し掛けられる事は滅多にない。

 自分は彼と問答するつもりで、単刀直入に尋ねてみた。

「フィロゾフィーが好きなんですか?」

「ああ、おや君も好きなんですか? ああ、いやまあ珍しい。そうなんですよ」

 狐めは大喜びで話し始めた。詰まり彼からすると、此の質実剛健な狐連中の生活は性に合わないらしい。ただ彼も糊口を凌ぐ為に家業の手伝いをしているに過ぎないのだそうだった。

「自分は人間ですからね」

「そうでしょう。人間は哲学する生き物ですから」

彼に狐と言うのは、何だか憚られる様な気がした。(或いは親爺の手前も在ったからだけれども)此の若旦那と話していると、これまで昼間起きている間に話していた事が全部詰まらない様に感ぜられてならなかった。

 ただ、彼の風態を見る限りでも、彼自身、未だ等身大の狐の姿で生きる事は厳しい様であった。狐にも環境や社会の問題は付き物らしい。

 暫く、彼の話を聞いた後、自分は此処に来た感想を彼に伝えたくなって斯う言った。

「然し、でも私は此処が好きですよ。どうせ何もかも世界は無いようなものなのですから、せめて遊べれば気持ちも守れます」

そう言うと、狐は不意と姿を消した。自分は立ち上がって、廊下に出て後を追おうとした。所が廊下に出て見ると、其処には見慣れた漆喰の壁が高々と聳えていた。何の事はない。夢から目が覚めただけであった。

  所詮は夢、夢である。然し其れを頭の中で唱えた時、声は自分の知らない声で再生された。春眠暁を覚えずとは正に此の事かと思った。

  鼻をかみながら携帯を開いてみると、昨日買った美術展のチケットが当日窓口で安く買えるという旨のメッセージが届いていたりした。

  昼間もまた、夢と同じくらい取り留めがないーーと、水を飲みながら思い付いた。