はてしないひらひら

尾ひれは沢山付いてるけれども、言いたいことは、多分シンプル。

三本目の万年筆

 

 家に帰り机に向かい、先ずする事と言えば抽斗を開けて懐中時計のネジを巻く事であったりする。

 学生の手に届く値段の機械式なものだから、購入してから半年でもう既に大分、抵抗が少なくなってしまっている。

 パワーリザーブの表示がある――と言えば、もう何処のメーカー品を使っているかバレてしまうだろうが、初めの内は一度巻いたら二日半持ったのが、今では大凡二日まで落ちた。其れで説明書通りなのだが、巻く間も、指の間に挟んでみる内も、コチコチと進む針の調子も何だか元気がない様に感じられて此の頃はずっと抽斗の中に仕舞いっ放しである。

 

 方々出歩くようにもなって、腕時計を身に着ける必要が出て来た。

 四月の暮れに二つ、予備も含めて購入した。チープカシオのデジタル時計である。

 偶々Twitterで友人がリツイートした記事に紹介されてたのと同じ型が店頭にあったので、Amazonでの販売価格とも比較しながら購入した。但し、此方よりもデザインが普段着と合わせ易いこともあったから、専ら予備で購入した方を着用している。

 

 デジタル時計は中の電子部品が駄目になると電池を替えてももう使い物にならないから、是まで選んで来なかった。物に執着してしまう質だから、成るべく長く使いたい、と直ぐ考えてしまう。すると、新しいものに手を出すのを敬遠し勝ちになってしまう。其れでいつまでも、寸足らずの、着馴れた上着やワイシャツなんかを着続けてしまう。異様は益々怪奇となり、おいそれと服屋に行くのも出来なくなれば、そんな出立でも許されるリサイクルショップや古物店に出入りする様になる。

 けれども、自分は決して古物趣味の人間ではない。他人が寄せたのと同程度に、自分が古物を大切に出来る自信もなければ、末永く保全しようという覚悟も出来ない。物に対する敬意を持てるかというのと、実際に自分が其の看護が出来るかは別問題である。

 古物に限らず新品であっても、其れなりに使い勝手がいいと、自分なんかは遂調子に乗って酷使してしまう。気に入ったら何処にでも身に着けて、持ち運ぶ。其の所為で随分な数の本を駄目にしてしまった。

 物言わぬ器物に対する扱いは、其れに慣れれば慣れる程、程度は甚だしくなる。漸く最近其の事を自覚して、今は常用しない事にした。

 

 自分の場合、何か大切にしたいと思うものについては平時は放っておく事が一番無難であるらしい。誰かに盗られたりしない限り、何処に置いたか仕舞ったか、最後に何時手入れをしたとか把握しておけば、独りでに何処かへ行ってしまうという事もない。

 気に入ったからと言って持ち歩けば、其れ丈他人に盗られる可能性も高くなる。学生時代、既に同じデザインの万年筆を二本、紛失したが、何れも自分には高価で一万円する物であった。赤と黒を基調とした、バッキンガム宮殿の衛兵を彷彿とさせるデザインは、多分他の人にも魅力的に映ったに相違ない(斯ういう時は自分の眼にも自信を持ちたくなる)。

 二度も失くすともう持とうという気は無くなってしまった。若し手にしたとして、三度とも失くしたという事になっては、恐らく自分は万年筆を持つ事自体止めてしまいたくなるだろう。其れは、他人に懲りたというよりも、自分に愛想が尽き果ててしまいそうで恐ろしいからである。

 誰に拾われたにせよ、取られたにせよ、今も其れ等が大切にされている事を自分は願って止まないが、然し本当に筋を通すのであれば、自分はもう万年筆を使わないのが正当なのだろう。

 今使っている万年筆は、以前の物よりもずっと安い品物で、実は三本目であったりする。同じ型の色違いを使っている。一本目は黒で、限定色だった。是を友人に譲った。二本目は水色を選んだ。然し、半年もしない内に破損してしまった。インクが漏るようになったので、今度は少し濃い青の新品を購入した。

 

 万年筆で自分が物を書くようになってから、もう七年経つ。其の間に、ひとから貰ったものを含めて自分が持ったものは九本を数える。内、寿命を迎えたりして使えなくなったもの、使わなくなったものは三本で、他は贈ったものを除いて四本は使用中に紛失・破損してしまった。

 筆圧が強い所為で、自分が使う筆記具は直ぐに先がぐらつくようになってしまう。

 元々、力のない分、肘で物を書くのが得意ではない――というのは言い訳に過ぎない。だが、もうそろそろ、今使っているペンは抽斗に仕舞う事にしようと考えている。幸い、メーカーも若者向けの廉価なモデルを多数売り出しているから、其の中から選んで、今後は定期的に買い替える積もりだ。

 機械式時計は、十万しないなら修理に出すまでもなく、使い捨てと捉えるべき――なる旨のコメントを「知恵袋」で見かけたが、万年筆についても恐らく其の位の感覚を持つべきなのだろう。果たして其れは適切な指摘であり、何時までも身の丈に合わない代物を使い続けるのは窮屈で苦しい許りだ。腹が支えて前が閉まらないブレザーはメルカリにでも出品してしまい、二回り大きなサイズのジャケットを買う足しにするならば、AOKIも青山も嫌な顔はしない。

 然し、用心しないと普段使う物に限って何処にやったか忘れて仕舞うものである。普段着ないような上着やズボンはクローゼットや箪笥の抽斗に仕舞われているから、割合探すのに手間取らない。

 そういったものは、何処に仕舞ったか忘れないよう、手近な机の抽斗とかに仕舞って置く事だ。使ったら又元在った場所に戻す。相する事で、せめても失くしたりする事を予防する事が出来る。

 精々、出来る事と言えば後は使わない時には放っておく事位である。気になるからと玩ぶのは事故の故だ。

 どうせ、用があれば直ぐ使うのだから、必要な時に直ぐ取り出せる様、無暗矢鱈に場所を変えない事に気を遣っていれば構わない。其れでお互い、十分である。