はてしなきひらひら

尾ひれが沢山付いてるけれども、言いたいことは、多分シンプル。

自殺未遂とかの感想

 

 自殺しようと思って実際、試みたのは十八の時の一度きりで、後で「死ねばいいんだ」と思ったことはあったが、ポジティブに、意気揚々と死のうと思ったことは一度もない。

 他人の話を聞いていても、正直、自殺を思い立った経緯くらい、他人からして如何でもいいことはない。思い立ったが吉日の心境に、恐らく興味があるんじゃないかと考える(勝手だが、自分はそうだ)。

 自分の場合は、自殺という明確な目標が出来た事で、とても元気になった。勿論、自分自身にはすっかり失望しているのだけれども、何処で死のうかとか、如何やって死のうかとか考えている間は、旅行計画を立ててる時くらい楽しかった。

 実際、本当にワクワクしていた。まさにそれは、非日常の経験であり、生涯一度きりの又とないチャンス(大抵、踏ん切りが付かないで、躊躇してしまう訳だが)だった。これから経験する事への期待で気分も高揚していた。個人的傾向として、柳田国男の「うたてこの世は......」で始まる詩を態々暗記して詠んでたくらいだから、兎に角、遠くへ行きたい欲求が強かったのだと思う。

 最寄りの自殺スポットを調べたら、丁度ダム湖があったので、そこまで徒歩で歩くことにした。片道数十キロであったが、どうせなら疲れた方が死に易いだろうと思って、深夜、雨の中を道なりに歩いていたら、手ぶらだったこともあってか、大して疲れも感じず、難なく辿り着けてしまった。死とは、こんなに身近だったのかと、そこですっかりと拍子抜けしてしまった。死に憧れを懐く歳頃であったとは言え、あんまりに其れが身近になってしまうと、途端に幻滅してしまうのだった。

 其れでも、一度死ぬと決めたからには、と悔し紛れにダムの淵まで行ってみたのだが、幻滅してしまった後だと如何にも気乗りがせず、ぐるっと蛇行して湖面を照らしている山道の明かり見て、更に上流のダム湖を目指して山を登り始めたが、途中、コンビニにトイレに寄ったが最後、こんな所で死ぬのが馬鹿馬鹿しく思えて、止してしまった。

 

 死ぬのが何がしか、救いになるなら未だしも、何の足しにもならないのに死ぬ理由がないーーというのが、自分の感想である。淡々と自殺するのは、如何にも気乗りがしない。

 尤もらしい理由は幾らでも立てる事が出来たが、肝心の「甲斐性」が自分にはなかった。時期を逸した、という感が強い。

 何事にも時期というものがあって、自分の場合は、十六、七が「死に時」であった。素直に、欲望に従って心中した方が余程、ダム湖で死んだとしても、其れよりずっと自己満足は出来た事だろう。所が、そうはしなかったので、そんな奴が今更、一人で死んだ所で......という気持が、迚も否めなかった。

 自殺未遂とすら呼べもしない貧弱な散歩だったが、後日、其の事で再三責められたりもしたが、ならばいっそ、相手も巻き込んで心中未遂でもした方がこんなに幻滅される事もなかったのかしらん、とか考えるくらいには太々しくなっているのに我ながら驚いたりした。とまれ、今となってはお笑い種である。

 

 結論としては、何よりも思い立ったが吉日というのは至言であるーーという一言に尽きる。

 自分の場合には、あーでもない、こーでもないと悩んでいる内に、二進も三進もいかなくなって、死ぬ事さえ出来ずに宙ぶらりんで、消極的に生きる事を択ばざるを得なくなってしまった。

 然し、此処まで、敢えて言うまでもないがこれは悉く筆者個人の経験を省みた感想に過ぎないから、人によっては未だ未だこれから「死に時」が来る人もあるかもしれない。(そうでない人は、もう諦めましょう)

 然し、生憎とそのタイミングは生きている内にしか分からないし、大抵の場合には、通過した後になってから気付く事が多いから、例え死んでみても後の祭りである。

 そうなる前に、予防的に死のうとして自殺しても、その死自体はフライングしている訳だし、とっても態とらしい死に方となってしまうから、下々の下だろうか。

 

 特にオチらしいオチもない。

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