はてしなきひらひら

尾ひれが沢山付いてるけれども、言いたいことは、多分シンプル。

カニの背中

 器用なカニは巻貝みたいに迫り出した台形の背中に次々と結晶様の色とりどりなキューブを載せていった。

 大きなカニと小さなカニがいて、大きな方も体長は3センチほどで小さな方は1センチにも満たなかった。

 余りにも巨大な人の指には気付かなかったようだが、差し出すとキューブの方には如何やら意味はあるらしいことは把握した様子で、何はともあれ背中に乗せては綺麗に立方体を作り上げようとしていた。

 しかし材料が足らず、それでも未完成の侭の背中の荷物を見て、小さいカニは珍しそうによじ登ろうとしていた。

 そんなこんな眺めている間に、足元に水が迫って来た。カニたちの水槽はなく、廊下に出て階段を下りようとすると、既に3階まで水が迫っていた。

 水は渦を巻き、しかし崩れる気配もなく、ゆらゆらと揺れていた。

 

 渦に巻かれた時の対処法を思い出そうとして思い出せず、辺りを見渡すと誰しもが自信なさげに躊躇していた。

 その内、また地響きが起こった。何処か遠くの方で起こって様子だった。何が起こったのか、直ぐにもそこへ行こうと思った。

 すると一人が漸く身内と連絡が付いた様子だった。其れとなく電話しながら周囲にいた人たちに、息を止め、両手を水平に広げて、弥次郎兵衛みたいな格好をして滑り降りるといい、と其の人は助言した。

 其れから順に滑り始めた。一旦、勢い付くと水は大きく回り始めた。

 

 何とか泥濘に足を取られる事もなく、着いた場所は家の近所だった。方々、水溜りだの出来ていて、門前を洗う人が大勢外に出て来ていた。

 特に集落の真ん中には墓場が在って、自分は其処に行って身内を見つけた。彼らは自分たちの家の墓の掃除をしていた。小さい墓石はすっかり流されてしまい、地下に在る骨壷を収める為の空洞の石の蓋が露わになっていた。其れでも皆、黙々と思い出話なんぞに花を咲かせながら片付けをしていた。水溜りの水をスコップで掬っては投げ、掬っては投げしていた。

 自分は其の作業の間、慌てて来たものだから、彼処で何をしていたのか思い出せず、其の事を考えている間に目の前の墓への関心がどんどん薄れていった。

 

 教室では、確か自分が帰りのH.Mの司会を勤めていて、教壇の隅に立っていた。其れから同じく司会が数人、其れに誰か顔は見えなかったが、同級生が一人、自分の前に立っていて、彼の母親らしい人が後ろの方で立っていた。

 最初、其れが如何いう状況なのか理解出来なかったが、如何やら彼は同級生ではないらしかった。偶々、年恰好が近くて連れて来られただけらしかった。

 終ぞ彼は自分の前に立ち、小柄な体格で、丸刈りの後頭部を此方に向けて微動だにしなかった。

 水が引く前だったか、後だったかも怪しいが、担任だと思っていた初老の男は少年を連れて来た張本人らしく、もう一人、自分の右に立っていた男は、不貞腐れながら「気をつけ」をして動かなかった。

 其れから段々と周囲の音が聞こえ始めて、自分の耳鳴りが止んだ事に気が付いた時には、少年は教卓の前まで進んで来た彼の母親に連れられて外に出て行く最中だった。

 皆が黙って礼をしていた。初老の男に至っては、教室の後ろから出て行った親子に土下座して詫びていた。二人は階段へ去っていった。

 少し老けた男は、親子が出て行くと自分に耳打ちした。見慣れない少年を取っ捕まえたのは彼らしかった。古本屋で見かけて、万引きしようしているのと勘違いしたらしい。

 「物の分別も付いていないように見えた」と彼は照れ隠しのように笑いながら、何時迄も土下座している老人の後ろでヘラヘラ笑いながら、親も連れずに、凡そ子供が読みそうにもないよう稀覯本を少年は見たがったと言った。遠回しに、自分は悪くない、と言いたげな雰囲気であった。

 此の間、口を聞いていたのは大人達だけで、自分を含めた児童は皆が黙って少年が、何をか言わんと期待して見詰めていた。

 だが、彼は一言も発せず、ただ項垂れもせず、じっと彼の母親を睨んでいるように見えた。自分は其処に僅かながら同情と共感を覚えた。

 

 其れから自分は、モノレールの駅に向かった。モノレールだけは運行を続けていたから、自分は片付けが面倒臭くて、取り敢えず、図書館に逃げる事にした。

 ホームには人はいなかったが、ダイヤは大幅に乱れているらしくって、自分が着いた時に出た列車は、今来た方向へ逆走し始めた。誰かが慌てて非常ボタンを押そうとしたが、行き先表示に「周回」という見慣れない文字が映し出されていた。

 

 ごった返す車内は様々な人種や宗教の人達で溢れていた。椅子は少なく、床に座る人もあった。ただ、何処も彼処も泥だらけで、或いは水浸しであるのに、高架鉄道の床は乾いていて、其れが何よりも自分を安心させた。

 其の内、時間になったのか、いそいそと礼拝の支度をしようと乗客の数人が床に座り始めた。別段、其れを誰も遮る事はなく、其れが済んだ後は何事もなかったかのように、否寧ろ、誰もが口を噤んでいたのだが漸く彼方此方で話し声がし出した。

 自分は知り合いも居らず一人だったので、礼拝を済ませた彼らの座る箱席に混ざる事にした。

 臆面もなく彼らに彼是質問する他の留学生の質問に、困った様子の彼らの内の一人と自分は妙に馬が合うようになって、其れから暫く、片言で、お互い大して知らないのに梵字とに付いて話していた。

 其の間に、軌道は随分と低い位置に下りていった。ほぼ、軌道と水平の位置になるまで、海水面は上昇しているかのように見えた。

 其の内、白波が車体の底面を洗うようになった。車内はまた其れから徐々に静まり返っていった。

 窓の外を眺めていると、進行方向に大きな波が見えた。列車はモノレールの癖にかなりのスピードで走っている。押し潰される事はなくても、あおられて脱線しないか不安だった。

 

 一際大きな波が、一直線に並んで迫って来る様子が見えて、自分は思わず目の前に座った彼に「見ろよっ」と声を掛けた。彼はギョッとして様子で、然し、本当に怖がっている様子でもなく、一頻り感心しているようだった。

 其れは蝋細工で出来ているようでもあり、何千年という時間を一挙に約めているようでもあり、そうした景色は何時迄眺めていても飽きなかった。

 崩れ落ちる断崖は次々と彼方に飛んでは消え、気が付くと又、目の前に迫っていた。愈々、橋桁は沈み始めていた。堤の向こうに見える波頭が迫り出して此方に迫って来ていた。皆が緘黙する中、自分は水が堤防を越えた瞬間に彼が何というか、今度こそは聞き漏らすまいと耳を抜いた。