はてしなきひらひら

尾ひれが沢山付いてるけれども、言いたいことは、多分シンプル。

土用丑の日のチョコレート

 

1

 夏場暑いとチョコレートは美味しくない。

 一度溶けて、またほっといて固まったチョコレートは脂肪が分離して美味しくないと感じるらしい。

 一昔前は、大抵、どの手提げ鞄の中にも飴玉とチョコレートは入ってたものだが、決まってこれらの菓子は何度も融解と凝固を繰り返していた所為だろうが、著しく風味を欠いていた。無論、賞味期限切れだった、ということもあろうが。

2

 夏場は蒸す。兎角、この気候の為に今も昔も苦労は甚だしい。

 チョコレートと並んで虫歯の元として歯科医から目の敵にされているキャラメルは、その包み紙の開発に腐心したそうだ。蝋引きした紙で包んでいた時期もあるらしい。

 果たして、この「風土」を考慮するならば、キャラメルもチョコレートも適しているとはお世辞にも言えない菓子ではある。それを踏まえてメーカーはその販売当初の昔から、栄養豊富と滋養強壮を並び歌い、登山家の、小学生のポケットの中に無事侵入することに成功した。その歓呼の様子を描いた看板が、今日も道頓堀の水路を飾っている。

3

 キャラメルやチョコレートにシェアを奪われた甘味は数あれど、甘酒ほど逆手にとって生き延びた甘味も珍しい。

 元々、夏場に飲まれていたという甘酒は、峠の茶屋の定番だったという。登山家がキャラメルをザックに担ぐまでは、山遊びの中途、英気を養うものといえば、甘酒であったそうだ。

 甘味、甘味というが、この甘酒全盛期において、甘酒がポジションは差し詰めエナジードリンクであって、他に冷やし飴があったという。砂糖水も歴としたメニューの一であったが、今では流石にこれで商売は出来そうにない。

 ともあれ、甘酒であるが、外来種にお鉢を奪われた後、夏から冬に鞍替えして、何とか今日まで生き延びている。

 冬場になると、チョコレートも賺さず先祖帰りして、ココアとなって応戦しようとするが、そのまま飲もうとするとこれが苦くて堪らない。砂糖をどっさり入れる羽目になるが、これが仇となってココアは倦厭されるようになる。ここぞとばかりに攻勢を見せる甘酒が手八丁口八丁に語るその地味栄養の豊富に、ココアやチョコに躊躇していた勢は容易に陥落する、という具合である。

 所で、甘酒が負けた大きな要因はカフェインが含有されていなかった点にもあると考えるのだが、果たしてアルコールやカフェインは、興奮剤にはなるがそれ自体が滋養となる訳でない。しかしその効能の点で言えば、これが含まれているといないとで、大分ものの「有り難み」は変わってくる。

 また、「香り松茸、味しめじ」と俚諺にもあるように、甘味についても所詮、香料でどうにかなってしまうものである。缶コーヒーなんかがこの代表例である。カカオ豆やコーヒーなんか、その点で方々で大活躍している。

 胃袋を掴む為には先ず、匂いである。というのも、実際、味覚というのは嗅覚との相互作用が大であるからで、安い肉も大抵、タレに漬け込めば美味いのは、タレに不断に含まれた香辛料のお陰様である。言うまでもないが、詰まる所、香辛料が世界を回したのは、素朴な素材の味よりも妙味を求めたからであり、「素材の味を引き出すハーブ」は今も昔も、お高くとまった連中の好む所である。

 詰まる所、彼らは目利きではないが、よく鼻が利く連中ではある。 所で、カフェインは無色無臭である。よく勘違いされたりするが、コーヒーの香りはカフェインのそれではない。

4

 夏場に滋養強壮が売り文句になるのは、果たしてそこには夏の暑さに疲れた体を癒す以上の目的があることを顧慮しないのは、果たして潔癖症というか、悪癖であるような気がしてならない。

 夏場に遊ばない奴はイケてない、という風潮は別に昨今に限らず、果たしていつの間にそんな価値観が出て来たのか知らないが、果たしてこれに真っ向から反対する価値観として美徳として遊ぶのは悪いことされていたりするのだが、このアンチノミーが伝統的な価値観の中で如何に解消されているのか、非常に気になる所ではある。

 それはさておき、遊ぶのが悪いこととされるのは、果たして稼がなくなるからというよりか、稼げなくなるからであって、それは文字通り、消耗するからであろう。

 謂わば生物は「その」目的の為に日頃蓄えをしているのであるから、果たして用を果たして仕舞えば消耗して使い物にならなくなるのは道理である。

 とまれ夏場は、何もせずとも消耗する。イケてようが、ダサかろうが関係ない。

 かくある事情から夏場は、昔風俗業は閑散期だったそうである。今よりも栄養状況の悪かった時代のことだから、果たして、今よりも夏場の暑さの影響は深刻であったことだろう。嘘か本当か効くという、ハブやマムシやニンジンの類は、果たしてその形状にあやかった信仰心から生まれたんじゃなかろうか、と邪推してしまう。

 閑話休題。兎角、そんな事情だから、色香よりも先ずは食気ーー栄養状況の方をどうにかしないとならないのは、道理である。いづれも自然の摂理に従っているものとはいえ、腹が減ってはナントやらである。

 食べ物の効能なんてのは、果たしてどこまで信用出来るか知れたものではない。

5

 チョコレートに果たして媚薬的効能があるのか、そんな事は知らないが、果たして時期になれば盛んに妙な噂も喧伝されるものである。

 しかして、そうした噂が流行る文化的背景も忘却されて久しい幟の文句を眺めていると、果たしてどんな反応をとったらいいのか当惑する事も屡々であるが、そんな時に相談する電話番号も知らないのが大人の悲哀である。

 夏場に確かに疲労はするが、そんな態々だからと言って、元気になるまで回復する必要があるだろうか? と考えてしまうのは、果たして妙に考え事をする悪い癖の為だろうか知らないが、万全の体調を整えれば、余計に負担を背負わされる昨今、健康にならなければならないような文句を見るたびに、そんな事を態々標語宜しく掲げなければならない状況に暗澹たる心境になる。

 縁起物の一々にケチをつけるつもりはないが、何せそうしたものの一つ一つが持っている縁起や由来が示す所には、必ず人間が止むに止まれずそうした願望を抱かずにはいられない不幸があり、縁起物の一々はそうした不幸を如何にかして癒したいという、切羽詰まった祈りとその儀式なのであって、その利益を期待して食べる行為それ自体、最早その縁起物とされたものを食べて楽しむ目的となる味は感じられない。

 6

 自分としては、チョコレートだろうと何だろうと、そんな不幸な期待は抜きにして、それ自体を純粋に享受したい身であるから、果たして、コーヒーを飲んでいて一々、モノカルチャー経済の齎す危機とか意識したくない、というのが正直な心境である。

 現実は非情であり、何を食べるにせよ煩いが絶えない。然しせめても、無い物ねだりはしないくらいの努力は個人的に勧めたいものである。

 暑けりゃ体は疲労するだろうし、チョコレートは溶けるだろうし、売れない時には売れないのだ。それで如何にもならないものは、如何にもならないのだから、どんなに足掻いても無駄である。大体、ないものを欲しがったり、効果を当てにしようとするのが間違いなのだ。

 肝心なのは、売れる時にどれ位売り捌くか、溶けないチョコレートをどれだけ「美味しく」食べるかである。ただ食べるだけじゃ、溶けていようが構わない。要は食えればいいのだから、健康体で食す必要もない。

 何よりも、先ずこの「美学」の回復が喫緊の課題であるといえようが、それを論じる為の体力がいかんせん乏しいのが、残念な所である。