はてしないひらひら

尾ひれは沢山付いてるけれども、言いたいことは、多分シンプル。

雑・輿水幸子と口裂け女

 口裂け女

「ワタシ、キレイ?」

と、輿水幸子

「ボク、カワイイ」

には、雲泥の差があるようで実はないーーというのが筆者の見解である。

 

 カワイイにしてもキレイにしても、それは他者から下される価値である。

 鏡という道具が身近にあると、つい忘れてしまいがちだが、人間は自分の顔を自分では見られない身体構造をしている。

 それでも不思議と、鏡に映った虚像を自分の影だと人間は認識出来る。とはいえ、その像はーー顔は、自分にとって異質な存在である。というのもそれは本来なら、見える筈のないものだからだ。

 実際の所、鏡を覗いたとしてもそこに映り込む自分は、左右反転した「別人」である。だが、最近ではその差も直して、リアルタイムで「自分の顔」を見る事が容易に可能となった。

 それでも、未だ人間はそうした道具に頼らないと己の顔も見ることが出来ない。

 そうである限りは、人間にとって「ワタシ」の顔は、常に別人であり続けるだろう。

 

 口裂け女は、元は人間の女性であったーーという話が残されている。顎の付け根辺りまで裂けた口がある顔は、その女性にとっても、バケモノであったに違いない。

 数多くのパターンが残されている口裂け女であるが、一説には、怪我をする前には相当な美人で、マスクで口を隠した容姿は、異様ではあるが迚も美しいーーというような話も伝えられている。

 そして、マスクをした状態で、

「ワタシ、キレイ?」

と訊ねて来るーーというのが、現象としての妖怪の特徴であるという事だ。

 

 果たして、 妖怪・口裂け女の正体は、実にその大きく裂けた口であるーーと考えて差し支えなかろう。

 マスクをしていれば、美人ーーであれば、態々訊ねるのは何故か?

 その正確な謂れは決して明らかにはならないだろう。

 だが、「キレイ」かどうかは自分自身ではどうにも分からないーーということは、例え口が裂けていようがいまいが、老若男女問わず共通している前提であろう。

 すると、この妖怪の一聞するに奇妙な問い掛けは、能く能く考えたらそう、妙な問いでもない事が分かって来る。

 

 道で人を捕まえて、自分がキレイかどうか、訊ねる事自体、異常に思われるだろうが、今日にであっても、別にインターネットを介して多くの人が顔も名前も氏素性もーーマスクで顔を隠す所ではない位ーー得体の知り得ない相手と頻繁に話している事を思えば、そんなインターネットなんかない時代のコミニケーションを安直に異常とみるのも、少々浅薄な気もしないでもない。

  顔を隠している事は確かに昔も今も怪しいかも知れないが、それを考慮しても、口裂け女の存在は、ただマスクをして質問して来るだけなら、別に妖怪として恐れられるに足る程でもないのである。

  蓋し、妖怪であるのは、その口の所為である。

 そして、如何して口が裂けていれば、妖怪なのかといえば、それが気味悪く、恐ろしいと、マスクの下を見た人に感じられるからである。

 

 女性が美人であるように、彼女が口裂け女であるのも、詰まる所が「他人の所為」である。

 その「他人」とは彼女を妖怪扱いするものではなく、裂けた口を持つ顔である。この目に見えない存在は彼女を彼女自身から、「口裂け女」という別の存在に変化させてしまうのだ。

 

 

 輿水幸子の場合、自信過剰とも思われるそのキャラは、彼女自身にとって見えざる他者である、彼女の容姿に謂わば規定されていると筆者は考える。

 だが、輿水幸子の場合は更に事情が複雑である。要は、その拗らせ具合が、口裂け女よりも甚だしいと考えられるのだ。

 

 果たして、この「ボクっ娘」の痛々しさは、小説や漫画、アニメに被れたような一人称を使う幼稚さだけから来るのではない。

 輿水幸子の場合、彼女は恰もその顔が「見えないの傷」に覆い尽くされているかのように、痛々しく振舞うのである。

 思うに、この傷は本来担うべき必要も、あるかのように振舞う必要もないような演出である。だが、それはこの登場人物が、ゲームの中でアイドルとして登場する上では、欠く得べからざる装置ーー十字架であったと考えられる。

 口裂け女も、その「裂けた口」という「聖痕」を持つが、しかしそれを受けるに至った正当な謂れは何処にも存在しなかった。それで、彼女を創り上げた人々によって追い追い補われていく必要が生じ、結果としてそうやって小学生たちによってプロデュースされた結果、口裂け女は大きな社会現象にまで上り詰めたと考えられる。

 

この事から筆者は個人的に、戦後の我が国における架空のアイドルの元祖は、口裂け女であるーーとさえ考えていたりする。

 

 しかし、生憎と輿水幸子というキャラには、口裂け女のような聖痕はなく、為に彼女は、根拠もない「ボクが一番カワイイ」という宣言によって、痛々しい傷を負う必然性があったーーと筆者は考える次第である。

 蓋し、「アイマス」は、女の子をアイドルとしてプロデュースするゲームであるのだから、その為には、彼女ら一人ひとりには、個性となり得る何がしかがなければならない。個性にも色々あったろうが、偶々、筆者の目に止まったキャラクターについては、「ボク、カワイイ」という個性ーー即ち、傷痕があったに過ぎない。

 

 ゲームのキャラクターの設定は全て必然であるが、果たしてキャラクター制作の段階で行われた「必然を偶然に演出する」作業は、三十年以上前に社会現象にもなった都市伝説を理解するのに意外な一助となった。

 こうして考えた後では、強ち当時の伝説に纏わる噂ーー何でもアメリカも諜報機関による実験であった、とかいう陰謀論も、全く当てずっぽうなものでもなかったように思われたりする。