ヤンデレ研究(1)――「青頭巾」「菊花の約」
「痘痕も靨」というのは、決してヤンデレ状態にある人――以下、ヤンデレ者という――を揶揄して言っている訳ではなかろう。
では、ヤンデレ者とは何者で、どんな有り様なのだろうか?
無計画に、研究してみようと思う。
今回は、上田秋成『雨月物語』の「青頭巾」と「菊花の約」を検討してみようと思う。
「青頭巾」は、可愛がっていたお稚児さんが死んでしまったのを悲しみ、悼み惜しんだ挙句、その死体を食べてしまったが故に食人鬼になってしまった元・お坊さんのお話である。果たして、このお坊さん、基食人鬼はヤンデレ者か否か……。
結論から言うと、2010年代後半の今日に於いては、微妙な所である。
メンヘラかも知れないが、ヤンデレではない。
次に「菊花の約」だが、これは話すとうんと長くなるが、要するに、ある男の友人である武士が、会うと約束したのに、どうにもその約束が守れそうにないと分かって、一計案じて自害して幽霊となり、彼の許を訪れる――という内容の物語である。
既に、色々と論じられているようだが、果たしてこの自害して果てた武士はヤンデレか、というと、矢張り今日日、微妙な所であろう。
しかしながら、筆者は寧ろ、「青頭巾」よりも、この約束を守ろうとして死んだ武士の行為から、ヤンデレ臭さを感じるのである。
それは彼が信義ある武士として、何とか友人との約束を守ろうとした事に由来する。
何かと言えば、「菊花の約」は衆道と絡めて論じられがちであるが、だからと言って自分はプラトニック・ラヴとか、BLを論じたい訳ではない。
だが、実は非常に密接に関係している、という事は重々承知しているのだけれども、流石にそこまで手を出すと、現段階では収拾がつかないので、今は見て見ぬふりをしているのが、正直な所である。
また、この武士の行動の動機とかを考える時に、武士道とかなんとかと呼ばれている美学や哲学、思想も本来なら考慮に入れなければならないのだが、果たして、それも又自分の手には余るので、ここは素通りにして先に進もうと思う。
(つづく)